桃かすてら

トークイベント「桃カステラ茶飲み話」

306号室の鏡のある部屋に、茣蓙を敷き、中央に丸い卓袱台が置かれてその上に桃カステラが並べられています。卓袱台を囲んで講師の高橋幹夫さんと参加者が白い座布団の上に座り、茶飲み話風にトークが始まりました。

高橋 高橋幹夫と申します。これまでアマチュアで桃カステラとか、スペインのクリスマスとか、昔の下宿屋さんのこととか調べてきました。桃カステラですが中国では桃が不老長寿のおめでたいものとされてきました。あちらに飾ってあるのが右から桃の形をした入れ物とティー・セットとお菓子の型、いずれも中国のものです。おめでたいということで桃の形が使われています。長崎というのは、ご存じのように南蛮文化、ポルトガルの物が入っているのですが、同時に中国からの文化も入ってきています。桃の形をめでたがる文化があり、カステラもあります。それが溶け合って桃カステラが生まれたようです。
私が桃カステラの存在を知ったのは、博物館でした。すごい桃カステラの模型が置かれていて、こういうものがあったのだと過去形で理解していました。博物館に飾られていた物なので、昔の物でもう今はないのだと思っていました。夏に行ったのですが、桃カステラが今もないかどうかを文明堂で聞いてみた。すると「今もある。ただしシーズンオフなので、もし、見たい、食べたいなら雛祭りのシーズンに来て下さい」と言われました。
翌年、雛祭りのシーズンにもう一度、長崎に行って、いっぱい買って食べました。もう拾数年前のことなので、まだネットとか発達していなくて、今はネットで検索すると桃カステラはいっぱい出てきますが、当時はそういうことはできなかったものですから、実際に長崎に出かけて買って食べ歩きました。
店頭でショーケースに飾ってあるのを写真に撮らせていただくのですが、勝手に撮るわけにいかないので、必ず一つ二つ買って「撮影させていただいていいですか」と聞いて撮影をしました。ホテルへ戻って毎食のように桃カステラを食べていました。そんな風に桃カステラと出会いました。

奥村 どちらの博物館ですか?

高橋 長崎市立博物館です。

石川 カステラはポルトガル、桃は中国、長崎には両方の文明があることはわかるのですが、造ったのは日本人ですか?

高橋 そうですね。日本人ですね。

石川 つまり、中国・ポルトガル折衷様式ですね。

斉藤 それが、いかにも日本人的ですね。

高橋 出版した本にはお墓の写真も載せています。どうしてかというとお墓も桃カステラと同じなのです。十字架があってヨーロッパ風でもあるけど、中国風のラーメンの縁の模様もお墓に彫られているのです。それでお墓自体は、よく見られる日本風のお墓です。桃カステラのように和洋中が入っている。それであえて、この写真を桃カステラの本に収めた。おっしゃる通り、中国とポルトガルと日本とで生み出した物ですね。

(註 高橋幹夫さんが出版された本は「ながさき ももかすてら」。近代文芸社から1996年に出版されています。目次には、「出会いは博物館」「和洋中・折衷」「桃づくし」「いよいよももかすてら」「世に広がるももかすてら」とあり、カラー写真を沢山使った140頁の小冊子です。)

斉藤 この桃カステラは長崎だけですか?

高橋 そうですね、ほとんど長崎だけです。ただ、元々本家が長崎にあるから。東京や横浜の文明堂にはあります。

斉藤 異文化の出会いで生れているのがとても面白いですね。

高橋 私も博物館で見て、長崎らしいなと思いました。

竹下 いつ頃生れたのでしょうか・

高橋 明治の終わり、大正の初め位だといわれています。

石川 意外に新しいのですね。江戸ではないのですね。

西松 そうしますと、カステラは安土桃山時代にポルトガルから伝わっていたのだが、桃カステラは、江戸時代には作られず、明治になって造られたということですね。

石川 長崎のカステラで岐阜県に伝わったモノがある。

お客様来訪

高橋(客に) 桃の形をした長崎のお菓子ですけど。桃の形をした蒲鉾もあります。長崎へ行くといろいろ桃の形をしたものがありまして、桃の形をした瓦もあります。

石川 これは、お正月とかおめでたい時に出す?

高橋 そうですね、桃の節句に限らず、結婚式の引き出物や建物の落成のお祝い事にも使われるようです。

斉藤 明治の頃、こういうものを考案した人がいるのですね。

高橋 うちが作ったという店が二つあります。一つは、栗桃まんじゅうとこの形の桃カステラを作っている松翁軒さんというお店。老舗のカステラ屋さんです。もう一軒あって、それは松月堂という。そちらもうちが最初だと言っています。

西松 記録が残っていないでしょうか。

高橋 松月堂さんは古いというのはわかっていて、大正時代に昭和天皇が皇太子だった時に献上している。(註 大正9年のこと)

田島 お茶が出来ました。濃いのと薄いのと出来ています。

斉藤 私は来週大連に行きますので、お茶飲み話にこの話をして来ようと思います。

皆さん、お茶を頂いて、お話が続きます。

竹下 お墓ですけど、長崎では一般の方も十字架のお墓を作られるのですか。

高橋 そうではありません。ただ、十字架のあるのは多いですけどね。でもお寺にあるし、どうなのでしょうか。

石川 キリシタンですかね。

奥村 隠れキリシタン?

(註 ウィキペディアによると、長崎市の悟真寺は浄土宗の寺院。戦国時代、長崎はキリシタン大名の大村純忠によってイエズス会に寄進され、神社仏閣は打ち壊された。豊臣秀吉がキリスト教を禁止し、長崎を直轄地とした。キリスト教の勢いが強かったが久留米の善導寺の聖誉玄故が布教の拠点として寺院建立。まもなく中国人の商人が帰依。1602年に唐人墓地が設けられた。キリシタンを取り締まる寺受け制度(檀家制度)が整備されて華僑独自の菩提寺である興福寺、福済寺、崇福寺が建てられるまで華僑の菩提所となった。1654年にそれまで水葬だった在留オランダ人の埋葬が許され、幕末、開港した長崎に出入りする国が増えるとその死没者も埋葬された。仏教寺院境内に仏教、道教、キリスト教、イスラム教の異なる墓地が併存する珍しい形態となっている。)

竹下 さきほど話が出たカステラの歴史は?

石川 昔、番組でやったのだが、忘れてしまいました。岐阜で昔の製法で作っているということだった。(註 ネットで検索すると江戸時代より伝来した製法を守った伝統の味を売り言葉にしているのは松浦軒本舗です。その特徴は、銅版造りの小釜で風味をそのままに焼き上げるのだそうです。)

高橋 食べてみますか? 

参加者それぞれ好みの桃カステラをいただきます。

高橋 このチョコは白水堂です。こちらは本家の松月堂。こちらは文明堂

西松 味のベースはカステラでしょうか?

高橋 調和が大切なようで、普通のカステラよりは甘さを抑えてあるそうです。

西松 これだけ砂糖がのっていますからね。ところで長崎カステラだと福砂屋も有名ですが。

高橋 福砂屋は、邪道だと言って桃カステラはつくっていません。ただし、あそこにも中国の影響は残っていて、店のマークにこうもりの絵柄を使っていますよね。こうもりも中国ではおめでたいものとされています。展示してある容器には、桃の絵と同時にこうもりも描かれています。

西松 鹿とこうもりが描かれていますね。

(註 こうもりの漢字「蝙蝠」が幸福の「福」と音が同じだから。鹿は長寿の仙獣とされていたということのようです)

石川 文明堂はいつ頃で来たのでしょうね。文明開化というから明治の頃ですかね。おそらく福砂屋の方が古いのでは。

(註 文明堂は明治33年、1900年、福砂屋は1624年の創業)

竹下 私は福砂屋の方が好き。

小泉 味が違うのですか。

竹下 下にザラメが。

西松 瓦に桃の形があったが、他の例は?

高橋 ケーキもあって、どうみてもハート型のものなのだが、それを桃型と書いていた。ハートなのですけど桃なのです。

奥村 病院の中で産婦人科の先生や助産婦さんが使うのですけど、モモカンと呼ばれているのですが、妊婦さんの何週何日かが計算できるカンがある。桃が書いてあって、皆がモモカンと呼ぶ。不思議ですね。

石川 桃から生まれた桃太郎。(笑)

奥村 多分、それを出しているメーカーの商標ではないか。

斉藤 モモカンというのは中国製ですか?

奥村 いえ、日本製です。

斉藤 中国とは関係ないのですね。

奥村 桃の缶詰は、モモカンといいますね。

(註 ネットで調べると「モモカン」には多義あります。奥村さんが初めに言われたモモカンは正式には「岡林式妊婦暦」。桃の絵がついた浅田飴のような缶の横にメモリがついていて、最終月経日をその日付に合わせると分娩予定日が分かるというもの、他にも○自分の大腿部に相手の膝蹴りを食らって打撲するのもモモカン。○ひぐちアサ原作の野球漫画「大きく振りかぶって」に登場するキャラクター「百枝まりあ(ももえまりあ)」の愛称もモモカンです。) 

ここでもう一人来客して同席する。

高橋(客に) 長崎のお菓子で桃カステラといいます。長崎にはいろいろと桃の形をしたものがあって、これが桃蒲鉾です。

客2 それが作品なのですよね。

高橋 作品というよりは、長崎から取り寄せて皆さんに見ていただいています。

客2 既成品で売っているのですか?

高橋 売っています。

石川 この季節だけ出るのだそうです。

石川(栗マンを指さして)これ、食べたい。わけようよ。

石川さんが栗マンを切り分ける。

高橋 聞いた話では、端午の節句は桃栗饅頭だそうです。

奥村 皮が厚いですね。

奥村 長崎からでて佐賀を抜けて福岡に行く長崎街道が砂糖街道といわれているそうです。長崎は砂糖が豊かでお菓子が多い。

客2(栗マンを所望) おいしいですね。皮の味がいい。

田島 お茶もいかがですか。

石川 栗マンおいしい。

客2 あんこもいいですが皮もいいですね。

石川 栗マンは皮が勝負。銀座にも有名な店がある。(註 風月堂でしょうか?)

客2 皆さん 丸い卓袱台ですね。

石川 懐かしいね。わが家にも昭和20年代にあった。

高橋 うちのお婆さんが昭和初期から使っていたもの。

奥村 今は、丸い脚が多いですね

客2 結構、中がえぐれていて猫足風なものもある。50~60年いけそうですね。

田島 2杯目ですが、中国茶にしますか? 皆さん、カップをください。

斉藤 そもそも桃カステラに興味を持ったのはなぜですか?

高橋 博物館で見た時に恋に落ちたというか。それが何かというと、私は異なる文化が溶け合うことに興味を持っているようだ。さきほどスペインのクリスマスのことを言ったが、それに興味を持つ前にフィリピンのクリスマスに興味を持ったことがあった。フィリピンも土着の文化もあれば、宗主国のスペインの影響もある。クリスチャンでカトリック教徒である。
そこにも同じようにクリスマスがあると思った。アジアの国でクリスマスがどのように祝われているかを知りたいと思ってフィリピンには繰り返し行ったことがある。洋の東西の混じったモノが私の関心を引くようだ。

斉藤 今、学校などでよく研究が行われている異文化交流ですね。こうして本もお書きになって、何か今出来ていますか。

高橋 そんなには発展していないと思います。私は、いろんなものに興味を持ってしまって。じつは、クリスマスに興味を持つ前に下宿屋の歴史も調べたことがある。それから脚を延ばして昔の集合住宅。明治時代の末に浅草の方に建てられた集合住宅の歴史も調べた。まあ、そういう流れでこちらとも知り合いになった。

石川 奥野ビルが出来た時の新聞広告を見つけて下さった。

斉藤 話がここに帰ってくるのですね。

高橋 そうですね。この桃カステラの本は、随分昔、もう15年以上も前の物。

次の客3(ピンクのセーターを着た人)、来室

高橋 お召しモノがぴったりですね。

客3 長崎にいたので、懐かしいなと思って。

客2  キリスト教的に桃は何かないのだろうか。

高橋 それはわからないですね。

西松 やはり中国ではないですか。長崎には今でも中国の人が多いし。中華街がある。

客2 九州はキリシタン大名や、隠れキリシタンもいっぱいいたところだから、何かちょっと特別ですね。

西松 中国では桃は仙人の食べ物だし、桃源郷のイメージもある。

斉藤 中国にとって桃とはどういうものか調べてみます。

客2 どうもありがとうございまいした。(客2 退室)

(註 ネット調査をしてみると 中華料理の点心に、桃の形をした寿桃があり、誕生日を祝う時に食べる。桃は中国の北西部が原産と言われる。古くから信仰されている仙女・西王母は不老不死の仙桃を庭に植えていた。西遊記に登場する孫悟空はその桃園で桃を食べ、不老長寿になったという。雛祭り・桃の節句の起源は中国で、古代中国では、春先の最初の巳の日(上巳)に桃の花を供えたり、桃の花びらを浮かべた水を飲んだりと、季節の変わり目に無病息災と厄除け祈願の儀式が行われた。
また、日本では長崎の多良見町伊木力遺跡には日本最古、縄文時代前期の桃の種が発見されている。奈良時代には中国から上巳の儀式が伝わり、宮中で行われていた。平安時代に上巳の節句に、野山で薬草を積み、健康と厄除けを願った。この行事が宮中の紙の着せ替え人形で遊ぶ「ひいな遊び」と融合し、自分の代わりに災厄を引き受けさせた雛人形を川に流す流し雛へと発展する。室町時代に、流し雛ではなく、豪華な雛人形を飾ってお祝いするようになった。
西洋の桃のシンボルを探ると、イメージ・シンボル事典には「①陰門、女性原理、結婚 ②豪奢贅沢 ③キリスト教 イコンにおいて、沈黙の持ち物、救済を表す聖母マリアの表象物 ④占星術では金属に属する・・それゆえに火星の悪い影響に抗する。シロップにすると黄疸やコレラに効くとされる。」とあった。ひょっとして桃の中に、マリアの表象が隠されているのを否定できないと思われます。)

高橋 今日食べていただいたのは小さいが全体に皆、大きいです。和菓子でも今の季節桃の形をしたものや鶯の形をしたものが出ていると思うのですが、桃カステラは大きい。それがかなりインパクトあると思います。

石川 大きいのは二人で分けて食べるのでしょうね。

高橋 カステラ屋さんのティー・コーナーで桃カステラを食べているところを見たことがあるのですが、女性1人で、ケーキを食べるように桃カステラをフォークで、食べていました。もちろん切り分けて食べることもあるとは思いますが。

西松 桃カステラはさだまさしさんの好物だそうですが、本人に聞いたことありませんか?

高橋 一応本に掲載する時にさだまさしさんの事務所に手紙を出しました。
確認をしていませんが、掲載OKということはそうなのでしょう。
お菓子があっという間になくなりましたね。結構、皆さん食べられますね。

石川 大きいのを頂きます。(ホイルに包んでお持ち帰り)

斉藤 18年前にこの本を出した時に、どれほど広がっていましたか?

高橋 長崎市内では、かなり多くの店で売っていました。

斉藤 私も長崎に旅していたのですが、なぜ気がつかなかったのでしょう。

西松 季節に行かないとわからないのでは。それが面白いですね。長崎も、ペーロンとかいろいろな行事がありますね。そうすると全く違うイメージですね。

石川 お正月には龍踊りがある。

高橋 田島さんのお土産のスウェーデンのクッキーがあります。

田島 ちょっと桃ぽいと思って。桃づくし。

小泉 クッキーをいろいろとこの頃やるのだが、これはむつかしそうですね。
へこんでいるのをどうやるのか。

田島 砂糖を溶かして焼いてある。

石川 和菓子にもあると思う。

高橋 それだけ長崎は砂糖が豊富にあった。

石川 それは、やはり向こうから持ってきたのではないか。

西松 サトウキビも向こうの方がよくできた。

奥村 長崎街道をシュガーロードと呼んでいた。

竹下 戦争前は台湾から来ていた。

西松 沖縄にはサトウキビ畑があった。

高橋 昔は高知とか種子島でつくっていたようですね。

石川 シュガーロードはどこからどこまでですか?

奥村 長崎街道は、長崎と小倉を結ぶ道路ですね。砂糖が長崎街道地域に大量に運ばれてきたため、「丸ぼうろ」「カステラ」「鶏卵素麺」といった南蛮菓子が残っている。(とネットの記事を読む)

田島 鶏卵素麺とは何ですか?

石川 知りませんか。素麺になっている黄色い甘いお菓子です。

奥村 間違えて茹でないで下さいと書いてある。茹でる人がいるので。

昔から造っている店がつぶれたようですよ。

(註 日本で最初に鶏卵素麺を製造したのは、博多の松屋利右衛門で、出島で中国人から製法を学んだ。鶏卵素麺を献上して福岡藩主の御用菓子商となり、日本三大銘菓の一つとなったが、2012年に売上減少で自己破産する。現在は、薩摩蒸気屋が松島菓子舗の工場を買収し、生産を再開。当代の松島利右衛門も別に生産を開始。)

高橋 スペインに行った時に鶏卵素麺とそっくりの物が、あちこちで売られていたのを見たことがあります。

(註 鶏卵素麺はポルトガルから伝来した。Fion de ovos(卵の糸)と呼ばれる。氷砂糖を沸騰させて造った密の中に卵黄を細かくソーメン状に流し込んだもの。ケーキのデコレーションとして使われることも多い。)

斉藤 シュガーロードですか、塩の道とか鯖街道もありますね。

奥村 長崎街道シュガーロード連絡協議会という組織がある。

(註 西九州一帯の活性化を目指して2008年に設立。銘菓探訪やこだわりスイーツなどの情報PRを行っている)

長崎に砂糖が輸入されてきて、それが道沿いに広まったということです。

斉藤 輸入元はどこですか?

奥村 外国との唯一の貿易港であったとしか書いてない。

石川 やはり、ポルトガルとかそういうところから持ってきたのだろう。植民地支配をしていれば。

高橋 おそらくスペイン人がカリブ海の国々から持ってきたのかもしれないですね。

(註 ウィキペディアによると、砂糖の主原料はサトウキビだった。南太平洋の島々が原産で、インドに伝わりBC2000年頃、砂糖が生産された。アラビア、中国に伝えられ、ヨーロッパには11世紀十字軍によってもたらされた。大航海時代にカリブ海の島々、次いでブラジルが産地となり、大規模なプランテーションが開発され、労働力はアフリカの奴隷であった。砂糖と奴隷の三角貿易でイギリスは産業革命の原資を得た。日本では奈良時代に鑑真によって中国から伝えられたが、貴重品で薬用だった。南蛮貿易が始まると宣教師によって砂糖菓子が持ち込まれ、琉球王国では、明からサトウキビの栽培と黒糖の生産を学び、生産を奨励した。江戸時代にはオランダや中国の貿易船がバラスト代わりに大量の砂糖を長崎の出島に持ち込んだ。大量の砂糖が和菓子の発達をもたらす一方、金銀が海外に流失した。8代将軍吉宗は、サトウキビの栽培を奨励、高松藩主松平頼恭は、特に力を入れ、国産白砂糖6割のシェアを占め、和三盆を開発。日清戦争後、日本領となった台湾から大量の砂糖が供給された。第2次大戦で台湾を失うと、一時大打撃を受けた。)

田島 葉が立派過ぎてこの急須ではもったいないくらいですね。大きな急須で入れてあげた方がおいしそうです。

高橋 その急須は面白いですね。色合いが。

奥村 これは陶器なのですよね。でも木の実のように見えました。

田島 知り合いの陶芸家の人が作ったもの。ボールみたいになっている。

西松 最初から古色がついていますね。・・・・・・

桃カステラ談義は、ほぼこれ位。その後、穴八幡で購入したお札を、今年の方角である南南島の壁に貼り、トーク・サロンは終了しました。お話を書き写して見て感じたのは、桃カステラが異文化交流だけではなく世界の歴史や宗教、そして民俗へと大きく広がっており、とても奥の深いテーマであったということです。高橋さん、参加者の皆さん、おいしいお茶を入れていただいた田島様、ありがとうございました。

文貴:西松 典宏

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